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昔から疑問に思っていた事に一応の答えが見つかったの巻(生命の多様性とその存在意義についての考察)

2018年9月11日 by 美容室MARINaquarium

石山です
久々・・・かなり久々の投稿になりますが、備忘録も兼ねて現在までの考察を書き記しておきたいと思いますので

よろしければお付き合いいただければと思います<(_ _)>

 

私が確か小学生だった時のこと。

雑誌Quark(クォーク)であったかに記載されていた内容「太陽は将来的には膨張して太陽系を焼き尽くしてしまう

とゆう内容を読み、大変びっくりしました。


 

「最終的にすべての生命が焼け死ぬならば、その日まで子孫を残して生き残り続ける意味とは何なのだろうか?」

「そもそもすべての生命は個体として必ず死ぬのになぜ産まれ、生存競争を繰り広げなければならないのだろうか?」

 

そんな疑問を抱いた所で納得いく答えなど簡単に見つかるはずもなく

ただ頭から離れない疑問として今日まで頭の片隅にいつもある疑問となっていました
 

しかし、その問題を先送りにする方法は後に考えつきます。

その方法とは「太陽系を脱出し、もっと若い太陽のある星系に引っ越す

とゆうものですが

それも一時しのぎでしかなく、また同様の問題がうまれてしまいます。

 

「さて、どうしたものか

と考えていたときにとても魅力的な学問の存在に気付きます

それは「ひも理論」

簡単に言えば「すべての物質は同じモノ(1次元の拡がりをもつ弦)で出来ている」

とゆう考え方です
 

この観点からいけば重要なのは生きているか死んでいるかではなく、質量として存在していること自体に意味がある
般若心経の一節に「色即是空」とありますが、これは

色(この世のすべての存在)は即(すぐに)是(イコール)空(無になる)

とゆう意味ですが

それは確かに言えています
生物はもとより道具や建造物、はたまた海や川、山に至るまで永遠不滅の存在などありません。

どれも形をかえていくものです。

でも「空(無)」になるのではなく、ただ違う物質(例えば二酸化炭素やケイ素といった物質)に置き換わるだけです。

そうして対をなす文言「空即是色」

に繋がっていくのです
つまり、自分が死んで火葬されてほぼ二酸化炭素に置き換わったとしても

その二酸化炭素から光合成ででんぷんを植物が生成し、それを草食動物(正確にはバクテリア)がタンパク質に変換し

その肉を誰かが食べて、その人の一部になったり新たな生命の素材になったりする。

これは「すべての存在の素材は同じ(弦)」と考えれば成立し得ます
 

では誰かの一部になった時に自我はどうなるのか?

などと思っていた時にある科学館で私は面白い体験をしました。

2つのマグカップにひとつは温め、ひとつは熱めのお湯を入れます。

どっちが熱いか視覚的に予想出来ないように中が見えない2つの箱に別々にカップを入れて

左右の手をそれぞれの箱に同時に差し入れて

温度を感じる・・・とゆう実験です

結果は熱いマグカップはすぐに温度を感じたのに対して

温いマグカップは温度を感じるまでに1秒ちかくのタイムラグがあったのです
これは指先がカップの温度が高いほうに危険性を感じ、優先的に大脳に情報を伝えるために高速通信が可能な神経(グリア細胞の応援)を通じて

情報を送ってきたからだと教えてもらいました。

つまり、情報処理をしているのは大脳だけではなく指先や脊髄、喉頭蓋や瞳孔(正確にはそれらを作動させるセンサー)などの各器官が

コンピューターでいうところのSCSI(スカジー、Small Computer System Interface)のように

瞬時、かつ正確な意思決定を行っている(もしくはシステムを構築している)。

また心臓を他人のものに移植すると嗜好や趣味が変わったり

網膜を移植したことにより前の持ち主が最後にみた光景を夢で見たりと

自分が確立していると思っている自我とゆうものが

実はいろいろな要素に影響を受けて変化しうるものなのだ。

つまり「自我」とは始まり(誕生)から終わり(死)まで一貫して同一のものでないのかもしれない。

野球チームのように部分的に入れ替わったりしているのかもしれない

そう考えれば自我とは誰かが途中から部分参戦することも可能な存在なのかもしれない・・・そんな認識になりました
 

以上のような考察から輪廻転生とは魂が廻るのではなく、物質として質量が形態を変えながら未来に可能性をつないでいくもの。

そう考えればたとえ太陽に焼かれたとしても質量は変わらない(質量保存の法則)ので

自分とゆう存在の意義(大小)は変化しない

とゆうことになります
 

そうして量子宇宙が熱的死(すべての温度が均一になった状態)してもそこに対称性の破れが起きれば(虚数空間でなくともインフレーション宇宙が産まれるのかは私が不勉強なためわからない)また現状のような宇宙が産まれ、生命に返り咲くことも可能なのではないか?

これこそが仏陀が悟ったダンマ「普遍の法」・・・宇宙の真理ではないのか?

 

・・・
しかしこれでは生命は解脱(最終目的を果たす)することなく永遠に生と死を繰り返す袋小路になってしまう。

量子宇宙の真理では生物の存在理由まで解き明かすことは出来ないのか?

 

そんな風に考えていた時、私が出会ったのがこの存在


「T4ファージ」

通常は球体であることが多いウイルスの中でもとびきり個性が強い形状のウイルス、

「石鹸の泡が球体なのは表面積が小さくエントロピーが最大になるため」であるように

ウイルスが主に正20面体の球体であるのに対してこのT4ファージがこのような姿かたちになっている理由は謎が深いものでしたが

ある仮説で説明がついたと言います
「これは4次元空間の正面体の投射ではないか?」

とゆうものです
我々が4次元空間の物体を認識する術はありませんが

理論上、数学的に考えた4次元空間に存在する正面体の面、陵、角の個数は計算できます。

この物体に投射(3次元の立体に光を当てて影を作ればそれは2次元の図形になる)によって次元を1つ落とすと

ちょうどこのT4ファージの面、陵、角の数になると言います。

するとこの複雑な形状をもったT4ファージは4次元空間では単純な球体、それの影である!

と類推することも出来ます。

だとすると・・・この3次元世界よりも高次元にも生命が存在する可能性がある
人類の数万倍の速さで進化できるウイルスは既に高次元にも存在しているのかもしれない。

 

そうか・・・地球上だけでも137万種もいる生命たちが目指しているのは高次元へと進出できる生命へ進化する道筋を探るため、

その可能性を模索する方法としてではないか?

あらゆる生命が進化し、淘汰の荒波に揉まれて目指す先はそこではないのか?

しかし4次元なんて飛行機でもロケットでも到達することは出来ない世界、どうやったらそんな世界に行けるとゆうのだろう。

 

そこで私が思い出したのがモーゼが「出エジプト」の最中に行ったとゆう「葦の海を割った」とゆう一節。

見解はいろいろとあるけれど、いずれにせよ都合よいタイミングで起きた現象は奇跡としか言いようがない。

奇跡とは「物理的な仕事量として可能ではあるが、確率的にあまり起きない事が起こる事」と考えれば物理法則に反しないことになる。

つまり「確率をコントロールするちから」

これを人は「魔法」と呼び

これを人は「奇跡」と呼ぶ

これこそがブレーンワールド(『我々の認識している4次元時空3次元空間+時間)の宇宙は、さらに高次元の時空(バルク(bulk))に埋め込まれた膜(ブレーン(brane))のような時空なのではないか』と考える宇宙モデル)を飛び越え、高次元に飛翔するための手段なのではないか?

 

翼とは風を切り飛翔するために産み出されたが

我々、生命が最終的に目指す翼は「確率の雲(コペンハーゲン解釈に基づく電子の存在確率のような)を自分の都合に合う位置に動かす翼」

を持つことではないのか?

そして人類は本能とゆう自然界のルールから外れて理性を持つことにより手に入れた科学力こそがこの翼になりうるのではないか?

そう考えるに至りました
 

以上が細かい説明や引用は端折りましたが、私が考えた概要になります。

まだ色々と勉強したい、しなければならない分野が山積みで

これからまた違う考えも浮かんでくると思いますが

これが今日、自分が思い当った「生命が産まれ、そして目指す場所」についての考察です
最後までこの文章にお付き合いくださった方の中で「そうじゃなくて、こうなんじゃないの?」なんて考えがあったら

そっと私に教えて下さいね


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